コレクション: France

French Collection

歴史的にフランスでジュエリーがマス・プロダクションとなったのは、19世紀に入ってからです。

 

それまでは、地域性のある”農民の”アクセサリーが各地に存在していました。それらが1872年のロンドン万国博覧会において紹介されたのをきっかけに、イギリスの富裕層が刺激を受け、宝石商に”農民の”アクセサリーを真似てジュエリーを作らせるようになりました。

 

Esclavage

エスクラヴァージュは、フランス語で「奴隷制」を意味し、ノルマンディーで着用されていた18世紀の3連チェーン・プラーク・ネックレスの名前でもありました。明らかに、これらのネックレスを身に着けていたのは主に下級農民の階級でした。

しかし、これらのネックレスは上流階級にも着用され、しばしば結婚持参金のようになったのです。

 

Bressan Enamels

イベリア半島のスペイン語圏とポルトガル語圏のジュエリーでもあったブレッサン・エナメル。フランスには伝統的なエナメルの作成方法があり、特にリヨン近郊のBourg-en-Brasse(ブール・ガン・ブレス)の町は、エナメル細工で有名でした。それらは、金のパイレットで装飾され、宝石またはガラスのペーストのいずれかがセットされた小さなプラーク(盾)でした。

ブレッサン・エナメルも、1872年のロンドン万国博覧会で紹介されたため、19世紀後半にフランスと英国で非常にファッショナブルとなりました。

 

Regional Cross Jewellery

地域の人気ジュエリーでは、フランス全土で作成されたクロスペンダントや宗教的なジュエリーでした。これはニッチなコレクターの夢であり、さまざまな違いをもったクロス・ジュエリーがありました。

 

Poissardes and Dormeuse 

イヤー・ペンダントとしても知られるポワサルデと、ドルミューズのイヤリングは、伝統的なアンティークのフランスのイヤリングの一種です。ポワサルデはもともとフランスの”魚売り”を指しましたが、一般的に、ポワサルデ・イヤリングは「フィッシュ・フック」イヤリングを意味するようにもなりました。軽量のゴールドで作られることが多く、非常にファッショナブルでした。

また、スリーパー・イヤリングとしても知られるドルミューズ・イヤリングは、眠れるイヤリングとして販売されていたため、フランスの女性の間で人気がありました。小さなドルミューズ・イヤリングは、多くの場合ダイヤモンドでできていて、つけたまま”華やかに”眠ることができます。

 

Parures 

パリュールは、17世紀の貴族の間で人気があったジュエリーのセットです。ティアラ、ネックレス、イヤリング、ブレスレット、ブローチで構成されたこれらのアイテムの多くは、交換可能なコンポーネントと変形性がありました。

フランスの宮廷では並外れた品質のパリュールがあることが特に知られています。ルイ14世のお抱え職人は最初の”パリュール発明”でクレジットされており、ナポレオン・ボナパルトはこれらの宝石を妻に贈るという特別な傾向がありました。

 

さて、19世紀に入って訪れたベルエポックは、フランスで最も文化的に重要な時代の1つでした。 印象派とアール・ヌーボーの芸術的貢献により、平和と繁栄の両方が共存する時代であると考えられています。ヨーロッパでは多くの中産階級が生まれ、ジュエリーを身につけるようになりました。同時にチェコのラインストーンを起源とするコスチューム・ジュエリーの開発により、フランスの宝石商たちは(主にパリ、リヨン、ニースなどの大都市)生産されたそれらのジュエリーを国外へ持ち出し販売することで、フランスのジュエリー文化はさらに興隆しました。